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にうよくでおもつたこと。

ふとしたことがきっかけで、商社の駐在員の奥サマとチャイナタウンでディナーをすることに。
一回り以上年の離れた、バブルを経験された方。その当時にはアッパーウェストのアパートに住んでいたらしいのだが、当時と現在のこの町の違いを嘆き続ける。そして彼女は自分の容姿や環境に納得いかないらしく、自分のことが好きではないらしい。ずっと人に頼って生きてきて(主に金銭面)、これからもそうありたいと言っていた。それが女の特権だと。
なるほど。その点で言えば、わたしはとても損をしていると我ながら思っているのだが、これが自分のパーソナリティだし、むしろ諦めて受け入れているくらいなので今更どうこうしようとも思わず。しかし自分をまだ受け入れられないって・・・まだ自分探し中ですか。年齢って関係ないのね。まあ「あの頃はこうだったのに、今は全然違うのよ〜」という話を聞き続けると非常に最高にウルトラ不快になる自分に気付いた。おとなしく現状を受け入れて楽しんだ方が良いような気がするけど、いかがでしょうね。って言ってみたものの通じなかった、しくしく。



どんなに金銭面で豊かでも、心の貧しい人とは接したくない人間としては(じゃあわたしの心が豊かかと言うと話は別だったりするのだが。豊かでありたいとは思うけど)、例えばどんなに恐ろしく高価なモノを買い与えてくれるような人でも、何の魅力も感じないのだ。実際にそういう人が近づいてきても、全くなびかないわたしは我ながらすばらしく可愛げのない女だと思う。
お金しかない人(と言った方が適切かも)には興味がありません。
ないよりは勿論あったほうが良いと思うけど、お金しかない人の周りには良い人っていない、というのはわたしの経験値なり。そんな人のそばにいてもわたしは楽しくない。異性としては興味はないけど人間として興味があると知りたくなってしまうという屈折した性格のわたしには素晴らしく面白い経験だったが。惜しいことをしたとも少しも思わない。しかしかわいそうな人だなとは思った。そこに信頼関係は全くないし。つまんなくないっすかね。

単純に優先順位の付け方と大切にしたいものが他の人と違うだけだと思う。できればプライベートでその点があまりにもズレている人たちとは一緒にいたくないもの。それについて他人にとやかく言われようが、そこは譲れない。

最近改めて思うのは、どんな状況においても最後は自分のことが可愛く、自分を守るはずなのに、わたしは自分を放棄する傾向があること。自分を諦めちゃいけないよなあ。
やっぱりわたしはどこかで自分を信用していないのかもしれない。その割には他人を信じやすかったりするのだ。あぁ、矛盾。

マンハッタンには日本で言うお金持ちとは明らかに規模の違うお金持ちの人たちが大勢いて、その人たちを間近で見ると、ちょっと自分が恥ずかしいと感じたこと。庶民の悪あがきってみっともないですな。例えばどんなに高級なものを身にまとっていても、とても庶民な家に住んでいたり。それを一点豪華主義と言えば聞こえはいいけど、中途半端に同じ土俵に乗ってるのって何だか妙な気分。いや、本当は乗れていないんだけど。おかしいっすね。だったら1億円寄付できる余裕が欲しいわ(←意味不明)

要は、上を見るとキリがないってことですな。どんなオチだ、一体。
by erumii | 2008-04-15 06:01 | 放浪。
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